ビッグゴールドでの(以下B.G)で連載再開されて現在はネット連載してる「999」に関しては何とも複雑な気持ちがする。
確かに連載が再開されてうれしい気持ちもあるけど、ちょっと話の展開などに納得行かない気持ちや、やっぱ連載再開するべきじゃなかったんじゃないという相反する気持ちがあるのだ。
そりゃあメーテルや鉄郎、車掌という顔ぶれは懐かしいし再びマンガで見ると感慨深い。
とはいえ、本来は続けるべきじゃないんじゃない?という理由なり考えもあったりする。
その理由をつらつらと書いていくことにする
やはりあの18巻(少年画報社で最初に刊行されたコミックス)のラストを見る限り、もうあれ以上続きを描く話ではない気がする。
あそこで別れてもう出会うことがなくなるから、メーテルは鉄郎にとっての青春の幻影
であり、想い出の中にだけいる女
になるんでしょうが!!
やはりメーテルってのは鉄郎にしてみりゃあ恋人であり、姉のような女性なんだろうが、なんといっても母のような存在というか、彼にとっての「母性」の象徴(母のイメージ)なんだと思うんですよ。
星野之宣のマンガ「ブルーシティー」という作品でこういうセリフがあった。
「男はだれでも母の幻想(イメージ)をぬけ出さなければ一人前になれんということさ」
オレもそう思う。
だからあれでメーテルときれいさっぱり別れなければ彼はいつまで立っても乳離れできず自立した大人になれない、というか母のイメージを振り切れず、いつまでもそれを引きずったままなのではないかと思うんですよ。
だからもし続きを描くのなら、ジョルジュさんが星屑雑話で書いたように、メーテルを出さないで続編を描くじゃないのかなあ。
東映「999」掲示板でみずよさんが言っていたようにあの氷付けになってしまった美しい女性を恋人にした話で描くべきだったとも思う。
しかし、それじゃあおもしろくない。
「999」はやはりメーテル、鉄郎、車掌の3人がいてこそ話が成立するのだ。
だから連載再開にあたり、メーテルに再登場願ったんでしょうけど、そんなら結局描くべきじゃない、ってことになってしまう。
(「透明宮の旅」みたいな続け方で1回だけ特別に「999」がスクリーンに帰ってくるというのなら話は別だけど)
あのラストは感慨深かった。
あの感動的なラストはイマジネーションの広がりがあった。
もうこれからは鉄郎一人だから、戦士の銃一丁で自分の身を守らなくてはいけないんだなあ、
とか
いくらハーロックとかエメラルダスと友達でも彼らも宇宙の海を常に旅しているから、いつも映画版みたいにグッドタイミングで助けに入ってくれるわけじゃないんだろうな
とか、
帰りの旅で意地の悪い機械化人とトラブルを起こしたときも一人で解決しなくてはならないんだろう
とか、
行きもあれだけ大変だったから帰りはメーテルがいない分それ以上につらいかも
とか、
中には機械化人よりも狡知に長けた生身の人間に出会ったりして、ときには生身の体への確信が揺らぐこともあるんじゃないか
などなど・・・
(余談だが、これだけいろいろ読者に想像の余地をもたせた作品を描ける漫画家というのも他にはなかなかいないと思う。
少なくとも現在私にこれほどイメージを働かせる漫画家は自分が知ってる限りでは今のところ他にいない。
それだけ松本じいさまは非凡な才能を持っているんですよ、あなた。
アニメ作家、富野由悠季のガンダムの世界もいろいろイマジネーションを働かせておもしろいけど、あの作品はどこまでイメージを働かせても「現実的」なイメージしかないなあ。)
あのラストを見て、鉄郎には輝かしい未来を勝ち取って欲しかったし、「無限軌道SSX」のラストじゃないけど、地球を生身の人間にとって住みやすい世界にすることが鉄郎にとって地球をアルカディア(理想郷)にすることだったんだと思う。
それだけにあの「伝説巨人イデオン」のような太陽系消滅という展開はいささか納得がいかんのですよ、アタシは!!
(今思うとラストのメーテルのセリフで「ここ(惑星大アンドロメダ)がもし地球だったら・・・・・・こんな悲しいことってないわね鉄郎!!」というセリフにあるように、こういう展開に転んでもおかしくもないのかもしれないけど)
この展開にしろ、ガラスのクレアが簡単に生き返るにしろ、どーも限りある命の価値が軽んじられている気がする・・・・。
(命の価値が下がるってのは、株価の暴落よりひどいことだぞ(−−;
失った人間の命って,そんな簡単に取り返しがつくものなんでしょーか)
納得がいかないと私が思う理由はコレなのよ、コレ!。
今回の映画でクレアの声が違うという声があったけど、そもそもクレア自体復活させる必要なんかあったの?
(それにしても今回の鉄郎のまわりにはメーテルと復活したクレア、電子妖精カノンと女性が多すぎる気がするのはオレだけかなあ?
別にひがみとか、硬派でなくてはいかん!とか言うつもりじゃなくてさ。
先に言ったようにあれではなおさら鉄郎は自立できない気がする。)
毎号欠かさず読まないで総集編で一気に読むので細かいことはわからないが、どうやら彼女を復活させたフォトンという女性がいて、フォトンが太陽系の復活の鍵を握っているらしいということだが
いくら作り話とはいえ消滅して無に返った太陽系が復活するというのは絵空事過ぎ
まあ松本じいやも考えあってのことだし、心待ちにしていたファンもたくさんいるので私はここで声高に連載を「やめろ!」などというつもりは気はないし、あの人も信念のカタマリみたいな人だから単なる一ファンがどーこー
言っても聴かんだろうし。
じゃあなんでまだ見てるんだよ!そんなにいやならさっさとファンをやめりゃあいいじゃん。といわれてそれも選択肢としてあるんだけど、なんで見つづけてるかというと
やはり松本じいやのいう自分の作品世界の終着点を一つにするという「大事業」(ワルハラのウォーダン)の完遂をおそらく2時間以上になるであろう完全版」もしくは「999」の原作の漫画でとりあえず見届けようというファンとしての義務感みたいなものがあるからじゃないのかなあ。
(還暦を迎えたらしいので年齢的に考えればおそらく最後の大仕事になると思う)
それと今回の映画化で期待していたことと言えば、
これを機にもっと自分のまわりに松本アニメファンが増えてくれればいいなあ、
というのもあったんですけど、結局そうならなかったのはご存知の通り。
(あの出来で999知らない人に松本作品の良さをわかってくれというのは、酷ってもんです。)
オレはガンダムも好きだから、仲間とそれで話が通じるのは嬉しいけど、松本作品だと話が通じないんだよねえ・・・・・
やはり999を再び走らせた以上は、ちゃんと終着駅まで走らせなきゃ。
ねえ、松本さん!
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